真野のむらのきろく

「真野のむらのきろく」は禁帯出のため、表紙画像はイメージです。 平成25年(2013)、北図書館でこの文集を見つけ、数日かけて全文を写本し明らかに誤字脱字と思われる個所を修正して資料とさせていただきました。 これは文集の原本ではなく、北図書館が再編集されたもので、図版等はついていません。
指導された横山幸一郎先生は、美術の先生だったと思っていましたが郷土史に造詣の深い先生だったことも記憶に残っています。

目次を紹介します。内容については北図書館でお確かめください。
1 はじめに
2 佐川の記録
 金の茶釜/山の神/粽たべ/竜王さん/妙見さん参り/八大竜王/殿墓/渡月さん/佐川の恩返し/佐川の象/金くそ/黒い土
3 大野の記録
 知らん坊の神様/よろ昆布/とんど/お精霊さん/光明遍照/屋敷藪/大野の迷信/大野の方言/庚申さん/銀ぎつね/明治のころ/大野の用水/大野のみみずく/チャンギリ/怒りん坊の神様/お寝坊の神さま/どんどの火の玉/水木/しる田/大野の祭り/石碑/皇子塚/家の名
4 家田の記録
 正院坊/家田という名/家田の生活/お火たき/家田の庄屋/家田の古墳/伊勢講/お百灯/愛宕講/牛さま/筒入れ/明智祭り/融さま/宮の森
5 谷口の記録
 庚申塚/谷口の古碑/善い神 悪い神/桜塚/越路古墳/もち堀り
6 中村の記録
 中村の八幡さん/中村の瓦/中村の迷信/地蔵盆の夜/四ッ角の地蔵さん/新堀/真野川の歴史/中村の病院/中組/川と名/湯あげ/豆はまめ/四の宮/稲荷山古墳/一本松/星の学者/中村の水害/中村の用水/中村の藪
7 普門の記録
 豪恕大僧正/上の神田神社/井戸の鳥/神田の蛇池/普門坊/牛の刻まいり/宮参り/神輿と鏡/十夜/瓢箪池の話/金毘羅祭り/大塚山古墳/六体地蔵/普門の字の名/馬場地蔵/豪恕さんと悪人/二条のお池参り/墓坂/普門の道/ごままき/神田の石灯ろう/十人衆/普門の遺跡/普門の迷信/よい花、悪い花/曼陀羅池/曼陀羅古墳
8 沢・北村の記録
 神田神社/伊勢講/ずっかい/多度参り/十七夜・さんやれ祭/神宮寺の鐘/稚児と駒/毘沙門様/病気なおし/おぼうしん/えべっさん/真野の入江/榛原小学校/沢の八幡さん/ぎょうじ塚/歯車工場/真野小学校/真野小学校の校長先生/真野荘/真野の古歌/真野の宮座/真野城/沢の遺跡/北村の遺跡/一本松経塚/北村の墓地/北村の裏手開発/真野駅
9 浜の記録
 女の十人衆/浜のずっかい/餅つき田/浜の船入れ
/三宮式部長/
三宮式部長は天保14年に正源寺に生まれ、梅田雲浜、頼三樹三郎らと交わり、のち東伏見宮に随って英国に行き、 11年間外国で学び、明治13年帰朝し、28年に式部長になりました。明治29年には男爵となりました。 東京にいても故郷真野を忘れることなく、たびたび寄進して村人に感謝されたお方です。 神田の神宮寺の鐘をとり戻したり、水害で困っている村人のために金子を贈ったりして村に尽くしました。 亡がらが帰ってきたときは一目拝もうとする村人で沿道がうずまり、堅田から浜まで人垣が続いたといいます。 三宮さんの奥さんは外人でした。内外の事情に通じ視野も広く、礼儀正しく、 ために式部長という皇室の重要な職につかれて任を全うされた方として、とくに私は記録にとどめおきます。 たくさんの勲章が胸についた写真が資料室にありますが、顔はとても上品で気品のある姿がみられます。 老人はこの人のことをよく話してくれます。(井上)



浜の遺跡/浜の碑/真野水泳場/琵琶湖大橋/母子草


/浮きはえ流しもち/
琵琶湖の鳥猟のうち、独特の歴史と伝統をもっているのが「浮きはえ流しもち」である。古法漁法の技術として民俗学的にも興味をもたれ、無形文化財に指定しようとする動きもみられる。現在この技術を保持している人は真野浜の佐野平治さんで、佐野さんは堅田町の漁業組合長もしている。「浮きはえ流しもち」とは、はえ(茎)を湖上に流し鳥をとるのでこの名がある。全く原始的な猟法で太古から続いたと思われる。記録の上では、鳥類の貢納等で室町時代から古文書にあらわれているが、もっと古くからあったと推定されている。まず猟の前日、1キロから2キロまであるつるのようなはえに静岡・和歌山から手に入れたもちを火で熱し、やわらかくしながら練る。翌朝、午前2時ごろ、浜の船入れから流しもち船が出る。冬季の11月から2月まで行うので、寒さが身にしむ。2、3月の鳥船と湖上の場所割を決め、仕事にかかる。印の旗をまず湖上に落とし、はえを流す。ところどころにおとりの木で作った鳥をはさんでおく。延々1キロから2キロ流す。風の動き、水の流れを考えながらである。一方水鳥は湖辺のえさを腹いっぱい食べて、湖に帰って仮睡して浮いている。ちょうどはえと水鳥を垂直に流し、もちにその羽根をつけるのである。午前5時ごろより夜明けの一瞬、すばやくはえをたぐりあげて水鳥を捕獲する。2、30羽かかるときもあり、2、3羽というときもある。長年の勘によって行うのであるから、伝承者でないとうまく行かない。月のある氷つくような厳しい寒夜が、だいたいよいといわれている。昔は鳥も漁業になっていたが、目的物が水鳥であるので農林関係の部になっている。近年この「うきはえ流しもち」を禁止しようとする動きもあって、古来伝統あるこの鳥猟を残そうと鳥仲間は(県下で10人)努力している。琵琶湖独特の由緒ある伝統技術を残すことは大切なことで、永久に保存伝達されることを僕は望んでおく。(岡本)

真野の漁師/琴ヶ浦/真野川の合戦

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