はじめに
古くは日本一の米の産地であった近江国。 その近江国と京都をつなぐ交通の要所として真野は発展してきた。 ところが、図書館に行って真野の資料を探しても隣町の堅田に比べて、僅かしか見つからない。 理由の一つは、信長の叡山焼き討ちで寺院の多くが焼失し、 この地の寺院もその被害を受け多くの古文書が失われたといわれている。 もう一つの理由として考えられるのは、 要所のためか、狭い地域にも関わらず天領・知行地・大名の支配地に細分化され、 探せばあるのかもしれないがまとまった資料としては見つけにくい。そんな中で、私は地域の役員として活動していたとき、 公民館の押し入れの中に荒縄で括られた紙束を見つけた。 見ると、天保という文字が見える。 ひょっとするとと思い、くしゃくしゃになった紙束を一枚一枚引き延ばしてみると古文書だった。
このままにしておけばゴミとして破棄される恐れがあると思い、 アイロンでしわを伸ばしスキャナー一枚一枚記録を取った。 一部の文字は読み取れるものの、いわゆる「くずし字」で大半はわからない。 そこでホームページ上で公開すると、 広島の高橋先生が「私が解読文を作ってあげましょう」というメールをいただき、 1日一枚というスピードで三百枚近い古文書の解読文をいただいた。
これが(私的)真野郷土史を作ろう思ったきっかけである。
第1部 歴史資料からみた真野
真野について書かれた資料として最初に見つけたのは、 大津市立北図書館所蔵の「真野のむらのきろく」と滋賀県立図書館所蔵の「眞野風土記」の二つである。後に、普門の中野清明氏が書かれた「私考愚考 真野北部の物語(歴史と伝承)」、 沢の川中常夫氏の作られた「澤村の記録」、 滋賀県立図書館所蔵の「堅田郷土史」が集まり、 これらに参考文献から得られた情報と浜自治会資料・昌法寺資料をまとめた。
第2部 地域活動からみた真野
浜自治会会長、真野浜会会長、昌法寺世話方、浜南地蔵盆の係として活動した記録。 神田神社は令和7年に氏子を退籍したため、自治会長、真野浜会会長時に役員として2年間活動した記録となる。第3部 統計資料からみた真野
当初は県立図書館、市立図書館の統計年鑑から資料を集めたが、 現在は大津市がホームページ上に統計年鑑を公開しているのでそれを利用。 統計年鑑以前については参考文献からの断片的な情報をまとめる。第4部 現地調査からみた真野
真野は2キロ四方の地域なので、バイク及び徒歩で調査し、 真野川、古墳・史跡、神社・仏閣を記録する。 また、資料による書面上の調査、名簿、小字、屋号、地籍、地形もここに記録する。おわりに
昌法寺資料は雨水に晒され紙塊状態が多く、手つかずの資料が多い。 一枚一枚取り剥がす技術が確定したら、ぜひ元の冊子に戻してほしい。 また、資料の多くは「くずし字」で書かれているため解読文はできていない。 個人の能力を高めることが肝要だが、今は生成AIの発達も目覚ましく「くずし字」解読などAIが最も得意とする分野である。 専門機関のサービスを期待したい。また、将来真野地域から、社会学、歴史学、民俗学に興味をもつ若者が現れ、 よりより真野郷土史を作成してくれたらと思う。 私自身、もっと若い頃に興味を持っていたらと悔いが残るが、 人生やり直しはできない。残念。